向き合い日記

仕事に子育てであっという間の日々。気がついたら50代。色んな事と向き合う事が楽しくなってきたという日記です。

相手の出方を見る、という発想パターンの人

長女が、学校の課題の出し方が分かりずらいと言ってきた。

『英文を要約せよ』と言われたが、要約を英文で書くのか、日本語で書くのか、わからない、と言う。

先生に聞いてみたら?

と提案したが、いや、聞きたくない、と言う。

 

結局、日本語で要約して提出したようだ。

 

”もしこれで、英語で出せって言われたら、超イヤじゃない?”

 

うん、そうだろうね。

 

卒業に関わる課題だそうだから、本人も切実だろう。

 

でも確かめず、そのまま自分の解釈で事を進めた訳だ。

 

”もし違っててても、私のせいじゃないからね。分かりにくい課題を出した、向こうが悪いんだから。”

と娘は言うのだが、困るのは自分だろう。

 

先生に聞くのが嫌だったのか、聞く事自体が億劫だったか、娘に尋ねたところ、”分かりにくい説明をしているのは向こうなのに、何故こちらから聞かなくてはいけないのか。”

と言う返答が返ってきた。

 

う〜ん、こういうコダワリを持っているのね。

娘が特殊なのかもしれないが、案外、こういう発想の仕方をする人、いるかもしれないな〜とも思った。

 

大人になっても、感受性が子ども。

自分が大事にされているかどうかを、相手の出方をみて判断している、という要素もあるのかも。

 

私は、娘の発想パターンに口出ししようかと思ったが、実は思いとどまった。

そしてそれでよかったと思う。

 

大事にされている、と言う実感が欲しいだけなのだ、きっと。

そこに着地した。