男女別定員「なければ女子284人合格」という都立高入試
今朝2022/7/14の朝日新聞より。
「男女別定員を設けている東京都立高校の今春の入試で、性別に関わらず成績順で合否を決めていた場合、不合格だった女子284人が合格していたことがわかった。」
「都教委は男女別定員を段階的に廃止する方針を決めており、今春は緩和措置をとった」
との事なのだけど、緩和措置って何?
読み進めると、
「今春は、定員の10%を性別関係なく成績順で」
決めたとのこと。
へえ〜、そんなことが行われていたんだ、知らなかった。
実際の合否結果と、仮に成績順で合格者を決めた場合とを比べたところ、
23校で女子の合格者が284人、
5校で男子の合格者が15人、それぞれ増える結果となったそう。
残りの81校は変化なし。
都の教育委員会は男女別定員の段階的廃止について「今回の結果を踏まえて検討する」のだそうだけど、時期は決まってないらしい。
制服の自由化はだいぶ浸透して、ジェンダー思想が教育界にも広がってきたな〜と思っていたけど、そもそもの入学試験の合否において、男女別が残っていたのだな。
そしてその事に、これまで違和感を持てていなかった自分を知る事にも繋がりました。
因みに共学の都道府県立高校で男女別定員が残っているのは、東京だけなんですって!
意外と、都心でのジェンダー思想が最も遅れていたのだな。
色んな事情があるのかもしれないけど。
(どんな事情だろう)
色んなところで変化の時代!!
都立高校附属中学校の卒業式に思う
都立高校附属中学校に通っている中三の娘。
先日、卒業式が行われました。
コロナ禍でも無事に開催され、本当に有り難かったです。
久しぶりに見る子ども達はすっかり大人っぽくなっていて。
お化粧してるのかな?って思うくらい、キレイな顔。
子どもから大人へと変化を遂げる様子に、ちょっとドキドキしてしまいました。
受験もなく高校へ上がれるから、いいとは思うのだけれど、思いは人それぞれのようで。
少なくとも我が娘は、高校へのヴィジョンが掴めないでいる様子。
中2の頃から、
・学校がつまらない。
・勉強ばかりで面白くない。
・打ち込めるものがない。
・雰囲気が真面目すぎて、面白くない。
他にも色々。
不満のループから今も抜け出せないでいます。
小学校の時、一生懸命勉強して、なんとか合格した都立一貫校。
さて、自分は何を求めていたのでしょう。
何が好きなのでしょう。
何か、何か、何か。
いっぱい考えて欲しい。
いっぱい悩んで欲しい。
何かを見つける事を諦めないで欲しい。
中学卒業、おめでとう。
頑張って生きているあなたを、母はずっと見守り続けます。
あなたが振り返ったら笑顔で返すよ。
だから、安心して。
子どもの頃からずっと、変わらないよ。ずっとね。
内申書は、もういいでしょ。
今日の朝日新聞オピニオン&フォーラムの欄に、中学校の内申書についての話が載っていた。
平川理恵さんて、以前広島県の公立中学校の校長をやられていた方だけど、今は県の教育長になられたんだ。素晴らしい。広島県は、どんどん教育改革が進んでいくだろうな。
平川さんが仰っている通り、教員一人の所見には、限界がある。
先生だって、責任重いの嫌なんじゃないかな。
生徒側は、内申書の内容を良くする為にという発想で、行動してしまうしね。
誰のための教育なんだろう。
行動原理が純粋ではなくなってしまう、この内申書の存在。
違和感を覚えていたけど、慣習で行われていた。
そしてそれを、仕方ないものと思っていた。
でも、そろそろ変わっていきそうだ。
こうして行動を起こしてくださる教育者が、いるのだから。
有難いことだ。
元開成の校長で、現在は北鎌倉女子学園の学園長であられる柳沢幸雄さんも、強い意見を述べられている。
”そもそも態度を評価して何をしたいのか。”
型にはめる教育の先に生まれるのは、「空気が読める」若者。
その先にあるのは、滅私奉公の人間であると。
いつも穏やかで笑顔で話される方だとお見受けするが、話す内容は、手厳しくて的確だ。
”前例踏襲主義からの脱却。”
”空気を読むようなマインドセットから、いかに解放するかが第一歩である。”
先頭に立って切り拓いてくださる、このような先人方々に続いて、子ども達が生き生きと育っていける社会を、私も作っていきたいと思う。
中学受験をやめて、その後の日々の様子
今度5年生になる三女。
中学受験はやらないと本人が決断し、1月一杯、つまり4年生のカリキュラムが終了した時点で、退塾した。
それからというもの・・・。
家での自由時間が、増えた。
学校から帰ってくると、ランドセルをどさっと投げ打ち、ソファになだれ込む。
Switchを両手で持って、もう集中。画面から目を離さぬまま、今度はアイスを取りに行く。アイスを食べ食べ、Switchに全集中。
きっと、至福の時なのだろう。
親としては、あまり嬉しくない光景だが、子どもにだって、至福の時を味わう権利があるだろう。
そう思って、今はそっと見守っている。
いや、泳がせておくか、とも思ってる。
一応、自由時間は30分と本人が決めたのだが、守られた事はない。
今いいところだからと、5分、10分延長し、それからまたソファでゴロゴロし、着替えを取りに行ったついでに漫画をチラ見。
やっと着替えたと思ったら今度はお菓子を物色。
帰宅してから平均1時間30分は、こうして過ぎていく。
まあ、でもこれが普通なのかもしれない。
大人だって、仕事から帰ったらまずビール、好きなテレビや新聞を見たり、ツマミを作ったり、それでも物足りなくてお菓子をあさったり、なんてしてるのだから。
受験をやめて、やりたい事、好きな事、が出てくるまでは、こんな感じなのかもしれない。今は、手綱を締めたり緩めたりしながら、見守っていこうと思う。
相手の出方を見る、という発想パターンの人
長女が、学校の課題の出し方が分かりずらいと言ってきた。
『英文を要約せよ』と言われたが、要約を英文で書くのか、日本語で書くのか、わからない、と言う。
先生に聞いてみたら?
と提案したが、いや、聞きたくない、と言う。
結局、日本語で要約して提出したようだ。
”もしこれで、英語で出せって言われたら、超イヤじゃない?”
うん、そうだろうね。
卒業に関わる課題だそうだから、本人も切実だろう。
でも確かめず、そのまま自分の解釈で事を進めた訳だ。
”もし違っててても、私のせいじゃないからね。分かりにくい課題を出した、向こうが悪いんだから。”
と娘は言うのだが、困るのは自分だろう。
先生に聞くのが嫌だったのか、聞く事自体が億劫だったか、娘に尋ねたところ、”分かりにくい説明をしているのは向こうなのに、何故こちらから聞かなくてはいけないのか。”
と言う返答が返ってきた。
う〜ん、こういうコダワリを持っているのね。
娘が特殊なのかもしれないが、案外、こういう発想の仕方をする人、いるかもしれないな〜とも思った。
大人になっても、感受性が子ども。
自分が大事にされているかどうかを、相手の出方をみて判断している、という要素もあるのかも。
私は、娘の発想パターンに口出ししようかと思ったが、実は思いとどまった。
そしてそれでよかったと思う。
大事にされている、と言う実感が欲しいだけなのだ、きっと。
そこに着地した。
”ゆづ”の事話してると胸が熱くなるという話
我が家で”ゆづ”といえば、羽生結弦。
”ゆず”じゃなくて、”ゆづ”だよ、と言うくだりでひとしきり盛り上がる。
先日の北京オリンピック、男子フィギュアのフリー、何度観ても、泣ける。
結果云々ではなくて、”ゆづ”の表情、全身から溢れ出る思い。
説明や言葉は、なくていい。
”ゆづ”はこれ以上ないくらいの思いを、その演技を通して届けてくれる。
本当に、凄い人だと思う。
”ゆづ”は凄いね。
”人として凄いね。”
"生き様がかっこいいよね。"
子ども達と話し合いながら、また泣けてきてしまった。
実際の彼がどういう人間か、を知る事はなくても、この演技に込められた思いに、私は勇気をもらう。
胸に熱いものをしっかり抱いて、今日も頑張れる、と思える。
カムカムエブリバディが癒し
今朝のカムカムエブリバディ、すごくよかった。
お父ちゃんとお母ちゃんが、何度も”ひなた〜”って呼ぶのが好き。
自分の名前を呼ばれるのって、安心する。
ひなたの気持ちになって心地良く思う。
ひなたが、ダメな自分を嘆いて落ち込んでいる時に、お母ちゃんは優しく言っていた。
”心配せんでええ。今は真っ暗闇に思えるかもしれんけど、いつか光がさしてくる。
ひたなの人生が、輝く時がくる。”
私はこんな事を娘に言ってあげられるだろうか。
こんなお母ちゃんになりたいと、思った。
AIさんが歌うオープニングソング『アルデバラン』を聴くのも、大切な時間だ。
『アルデバラン』の意味を調べたら、おうし座の事で、”後に従う者”と言う意味があるそうだ。
そういえば、うちの次女は牡牛座。名前は”栞”と言うのだが、私が”道しるべ”と言う意味が気に入ってつけた名前だ。
何だか繋がっているな〜と思い、嬉しくなった。