向き合い日記

仕事に子育てであっという間の日々。気がついたら50代。色んな事と向き合う事が楽しくなってきたという日記です。

ある朝新聞記事を目にした娘は・・・

数日前の事。

仕事から帰宅した私に、小4の娘が、恐る恐る言ってきた。

顔がこわばっている。

”ママ、黙ってここ読んで。”

朝無造作にテーブルに置いておいた、朝日新聞の一面記事。

ミャンマー国軍の弾圧により命を落とした女性の事が書かれていた。

今風の可愛いメイクをして、彼氏とポーズをとって、微笑んでいる。

 

最初娘はきっと、”このこ可愛い!”と思い、そのまま記事に目がいったのだろう。

何せ彼氏のいる可愛い彼女像に興味があるお年頃だ。

 

でも、記事を読んで、きっと愕然としたに違いない。

ふわふわと夢見心地だった好奇心が、戦慄にとって代わったのだろうと推察する。

 

社会と向き合う瞬間は、きっとこんな形で訪れるのが自然なのだろうと思う。

教育されるのではなく、理屈を教えられるのでもなく、自分から、見つけてしまった!!

という瞬間。

 

日本はとても平和だ。

毎日、新聞の国際欄で目にする弾圧や内戦、侵攻という文字。

日本の社会では、少なくとも直接的に身の危険を感じるような、これらの危機感は、ない。でもだからといって、それでいいというのか。

自分に関わりがなければ、見なくていいのか。

危機が迫ってから考えれば、いいのか。

 

我が家の三姉妹は、社会を見ようとしない。

男性アイドルや、アニメや、漫画の世界にぬくぬくと浸っている。

私はいつも、そんな状態にイライラしていた。

 

社会に興味を持ってもらいたい。

自分達の未来、世界の未来を考える人になって欲しい。

でも、押しつけにならずに伝える方法は何だろう。

私はいつも模索していたように思う。

 

そこに冒頭の、小4娘のあの台詞だ。

私は、心が揺さぶられるのを感じた。

”見つけたんだね。自分で。

社会を知る入り口に立てたね。

やはり君は見つける人だ。”

 

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ミャンマー国軍の弾圧によって命を落とした女性