ある朝新聞記事を目にした娘は・・・
数日前の事。
仕事から帰宅した私に、小4の娘が、恐る恐る言ってきた。
顔がこわばっている。
”ママ、黙ってここ読んで。”
朝無造作にテーブルに置いておいた、朝日新聞の一面記事。
ミャンマー国軍の弾圧により命を落とした女性の事が書かれていた。
今風の可愛いメイクをして、彼氏とポーズをとって、微笑んでいる。
最初娘はきっと、”このこ可愛い!”と思い、そのまま記事に目がいったのだろう。
何せ彼氏のいる可愛い彼女像に興味があるお年頃だ。
でも、記事を読んで、きっと愕然としたに違いない。
ふわふわと夢見心地だった好奇心が、戦慄にとって代わったのだろうと推察する。
社会と向き合う瞬間は、きっとこんな形で訪れるのが自然なのだろうと思う。
教育されるのではなく、理屈を教えられるのでもなく、自分から、見つけてしまった!!
という瞬間。
日本はとても平和だ。
毎日、新聞の国際欄で目にする弾圧や内戦、侵攻という文字。
日本の社会では、少なくとも直接的に身の危険を感じるような、これらの危機感は、ない。でもだからといって、それでいいというのか。
自分に関わりがなければ、見なくていいのか。
危機が迫ってから考えれば、いいのか。
我が家の三姉妹は、社会を見ようとしない。
男性アイドルや、アニメや、漫画の世界にぬくぬくと浸っている。
私はいつも、そんな状態にイライラしていた。
社会に興味を持ってもらいたい。
自分達の未来、世界の未来を考える人になって欲しい。
でも、押しつけにならずに伝える方法は何だろう。
私はいつも模索していたように思う。
そこに冒頭の、小4娘のあの台詞だ。
私は、心が揺さぶられるのを感じた。
”見つけたんだね。自分で。
社会を知る入り口に立てたね。
やはり君は見つける人だ。”